溺れそうになる。



                                                さくらんぼ



「ほれ、大将」
べ、とハボックは大して長くもない舌をだした。
その口元には彼のトレードマークである煙草は無く、
代わりにいびつに結ばれた、サクランボの軸がある。
「汚ねえなあ、いちいち見せなくてもいいよ」
全く子供みたいに、と当の子供本人に言われてしまっては立つ瀬がないという物だ。

ここは東方司令部の一室。
古い什器が乱雑にこかれたそこは、物置兼談話室とでもいうのだろうか
けして上等とはいえない使い込まれた応接セットと古ぼけた灰皿が数個置かれている。
きっとヘビースモーカーの彼にとっての憩い場なのだろう。
このさして広くはない一室のソファにエドワードとアルフォンスの2人も座っている。
差し入れがあるから来ないか、とハボックに引き込まれたのだ。
聞くと、街の人から新鮮な果物をたくさん貰ったのだという。
ハボックのその軍人らしからぬ派天候な性格とかつ気安さで人好きのする彼は
町の人に愛されているらしくちょくちょく、善意の差し入れを貰っているらしかった。
若い女性ではなく、熟年の女性(彼の表現による。けして街のオバチャンとは言わなかった。)
に貰う事のほうが多いのがやや不満のようだが。

地方監査の報告書をロイに提出しに来た道すがらのことだったが、
多少待たせた所で構わないだろうと、2人は有難く申し出を受けたのだった。
もちろんアルフォンスは、食べることは出来ないのだが
旅から旅への根無し草、研究に没頭し寝食を忘れがちな兄に
少しでも栄養価のある物を食べてもらうのは嬉しいとばかりに、機嫌が良かった。
エドワードもそんな弟の心遣いを分かっていて、かつ何も気付かないような風に
食べられない弟の前で自然に食べ物を口に運ぶ。
ハボックは本当に仲がいい兄弟だと思った。


「少尉、器用ですねえ…」
感心したようにアルフォンスが言う。
口にものを含むという行為も久しく、サクランボ自体を食べた記憶もおぼろげだったがそれでも、
そういう風に、遊んだ事があるような気がする。
「だろだろ?!」
子供らしい反応のないエドワードに比べて、この弟のなんと素直でかわいいことか。
ここぞとばかりに、ハボックは上機嫌な笑顔を浮かべた。
「昔、僕達もこんなことして遊んだ事あったよね」
確か、アルフォンスはわりと器用に出来ていた気がする。
ただエドワードはどうしても上手く出来なかった。
負けず嫌いの彼は、食べ物で遊ぶのはやめなさい、と母親に一喝されるまで
延々と続け、お陰で一日たっぷりは舌の感覚がおかしくなってしまったのだった。
「んなこと出来ても何の役にもたたねえよ」
エドワードはその時の悔しさを未だに忘れられないのか、少しふて腐れているようだ。
そんな些細な事さえ未だに根に持っている兄がおかしく、アルフォンスは忍び笑いを漏らした。
しかしエドワードが苦手なことを知ってか、ますますハボックは楽しそうに言う。
「そんなことねーぞー。よく言うじゃないか。これが出来るとキスが上手くなるって。」
練習しとけよ、大将には早いかもしれないが、とからかう様に付け加える。
言外に「お子様には早い」というニュアンスがありあり感じられて、エドワードの癇に障る。
「で、アンタは上手いってわけ?」
「うっ…」
冷え冷え聞いてやると、ハボックは詰るように唸った。
何か思い出したくない経験でもあるのだろうか。
「そりゃさぞおもてになるんだろうな、あれそういえば少尉彼女は?ああ一人に絞れないってわけか」
ご苦労なこって、と舌を出してやる。
現在ハボックに彼女がいない事を知っていて、それをネタにからかうエドワードも相当根性が悪い。
常日頃、ロイと嫌味の応酬をしている口八丁のエドワードには、根が善良な彼は敵わないだろう。
2人のやりとりを黙って聞いていたアルフォンスは、
キスにも上手い下手があるのか、と不思議そうに首を傾げるだけだった。


「だったらアレだなあ、大佐なんかすげーんじゃないの?蝶結びなんかできたりしてな」
話題を摩り替えようとしたのか、やや不自然な明るさでもってハボックが口にする。
ついでアルフォンスが頷いた。
「あ、そうですよね。確か大佐ってすごくもてるらしいですし」
話の本筋はなにやら良くわからないこともあるが、しかし
ロイ・マスタング大佐が女性の扱いにマメであると言う事は知っている。
女性に関することであれば何かしらの器用さに長けているのだろうと思った。
「……へえ。ま、そうなんじゃないの」
つとめて感情が出ないように、エドワードは相槌を打った。




他の事は知らないが、確かにロイは『そういう事』に対しては器用だ。
エドワードは幸か不幸かその事を、身をもって知っている。
キスといえば、触れ合うだけの親愛のキスしか知らなかった自分に、
喰い荒らすほどに深いものもあると教え込んだのはあの男だ。
そういえば、なんとなく大佐の舌って長い?
と、エドワードはひとりごちる。
いや、そんな気がするだけかもしれない。


口内に感じる他人のそれと、混じる唾液。
ひどく執拗に自分を絡み取る舌に、翻弄されて
求められていると錯覚する。
眩暈を起こすようなザラリとした甘い感触に、
何もかも飲み込まれてしまいそうで―






「どした?大将。顔が赤いぞ」
「本当だ、兄さん熱でもあるの?」

果実に伸ばす手を止めたまま呆然としていたエドワードを
ハボックとアルフォンスが心配そうに見つめている。

「ひぇ?! な、なな、なんっ、なんでもない!!」

(何、思い出してんだ俺!!)
エドワードは、フラッシュバックしてしまった思考を必死で霧散させる。
しかし大抵がそうなるように
考えまいとすると、その不埒な感覚を余計に思い出してしまうのだ。
顔が火照って熱いのが自分でも分かる。この分では耳まで真っ赤になっているだろう。
思い通りにならない自分の反応に苛立ちつつ、
エドワードは必死に気持ちを落ち着かせようと深呼吸した
その時。

「たしかに真っ赤だな。りんご病かね。それとも知恵熱でも出たか?」
りんご病、知恵熱。何れも小児に多くかかる病名である。
的確にコンプレックスを刺激する単語に、エドワードの怒りが瞬時に達した。
「誰がガキか、誰がー!!!…って、へ?」
耳元で響いた低い声。
深い重みのあるこの声は。

「「「大佐!!」」」

仲良く3人の声がハモる。
鮮やかな青い軍服の上にコートを羽織るその姿は、ロイ・マスタングその人だった。
いつの間に、室内に忍び寄っていたのか、
その長身を折れんばかりにして、ソファ越しにエドワードを覗き込んでいる。

「気配を消して近寄るなよ!!ビックリするだろ!」
「約束の時間をとうに過ぎても来ないと思っていたら、
こんなところで仲良くおやつタイムとはね。まったくお気楽なことだな」
憮然とした上司の口調に、取り成すようにハボックが口を開いた。
「いや、その、ははは。大佐もどうです?おひとつ!」
「ほう、サクランボか。珍しいな。」
ハボックの差し出した果物皿から、一房を摘み上げると
ロイはエドワードの隣に腰掛けた。
「さっき丁度話してたんところなんスよ。大佐なら当然、コレ結べますよね?」
「さあ、それはどうかな。」
興味ありげなハボックに対し、ロイは肩を竦めて低く笑うだけだ。
エドワードといえば、もうその話題はいいとばかりにそっぽを向く。
そんな兄の姿にアルフォンスはただ苦笑している。


ふむ、と咽喉を鳴らすと、ロイは一口でその実を含んだ。
僅かに覗いた白い歯がやけに生々しく感じる。
知らず、ロイのそんな仕草を横目で追ってしまっていた自分を自覚すると、
とたんエドワードは恥じ入るように視線をそらした。
先ほどの煩悶が、ぶり返した気がする。
どうして、こんな事だけで
自分が乱されなければいけないのかと、腹まで立ってくる始末だ。


しかしロイは、暫らく咀嚼していたかと思うと直ぐにその軸を抜き出した。
何の変哲も無い直線のそれに、エドワードがぱちくりと瞬きをする。
「へ?アンタ出来ねーの?」
なんだか拍子抜けしたような気分だ。
半ば冗談とはいえ、蝶結びくらいやってのけそうな気がしていたのに。
「出来ないというか、やる気にならない。」
別に本物が相手というわけでもあるまいし、とロイは面倒くさげに呟く。
「またまた、そんなこと言って。 実は、もしかしてキス、下手なんスか?!」
ハボックは妙に嬉しそうだ。
女性に絶大な支持を得る上司の意外な姿、と言う事を期待しているのだろう。
「さあ、それは相手に聞きたまえよ。」
とロイは、鼻にもかけない。
そして華の様に、と評するにはやや不穏な色の混じる笑顔を浮かべた。
「そう言う事は、キスの相手だけが分かっていればいいんだよ」















「それで、どうかな」
「何が。」
夕日の差し込む一角に二人きり。
アルフォンスとハボックを談話室に残して、
エドワードは一人、このロイ個人使用の執務室へ報告に訪れたのだった。
「さっきの話なんだがね。君の好みには合わない?」
意味ありげに含みを聞かせた台詞に、エドワードの体温がわずか上がる。
「…その気になれば、3つくらい結び目作れんじゃないの」
「それは、褒め言葉かな」
「そう思っとけば」
不満そうに、頬を膨らます姿に、ロイはくつくつと笑う。

やがて、さっきから気になっていたのだが、と前置きをしてロイは口を開いた。
「そんな物欲しそうな目をしないでくれないか、我慢がきかなくなるのでね」
「!!」
エドワードの頬が一気に朱に染まる。
ぱくぱくと口を開くが、どんな嫌味も文句も出てこない。
見透かされていたのかと思うと、死にそうに恥かしかった。
全く、この男は要らない事を言い過ぎる。
顔が熱くて憤死しそうな程だ。
エドワードのそんな変化を楽しむようにして、ロイは胡乱な笑みを浮かべると
密やかに耳元に囁いた。
「そうだね、キスが上手くなりたいというのなら、いつでも来るといい。私好みに仕込んであげよう」
「〜〜っ!いっぺん死んで来い!この色ボケ!!!」


あまりの羞恥に暴れ出そうとするエドワードの小さな体を押さえ込むと
強引にならぬよう、やさしい仕草でその顎を引き上げた。





このじゃじゃ馬な愛しい子を
黙らせるための、いちばん良い方法をロイは知っている。













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…だらだら実のない話。というかセクハラ上司^^。