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爪きり
「…何をやっているのかな?」
「見れば分かるだろ」
その不思議な動作を暫し眺めた後、ロイは首を傾げた。
「見ても分からないから聞いているのだが」
ロイが見慣れた執務室の扉を開けて、
まず目に飛び込んできたものは脱ぎ散らかされたブーツだった。
見ると、据え置きされている黒い革張りのソファの背から金髪がちらちらと覗いている。
大佐個人の執務室に許可無く、無遠慮に入り込み
かつその鮮やかな金の色を放ち持つ人物をロイは一人しか知らない。
鋼の錬金術師、エドワード=エルリックだ。
しかし鋼の、と声を掛けても一向に返事が無い。
これは読書にでも没頭しているのかと正面に回り込むと
彼はソファの上にうずくまり、奇妙な熱心さで何事かに挑んでいるようだった。
見ると機械鎧の右手を使って、小さな金属状の何かを必死に掴んでいる。
「こ、れ!!」
何をそんなに怒っているのか、噛み付くような口調で切り替えすと、
エドワードは必右手の中のものをロイに見せ付けた。
「爪きり?」
鈍い銀色の小さな爪きりだ。
妙に生活臭の漂うそれが、やや非日常的な雰囲気を醸し出す機械鎧によって掴まれていると
何やら変な感じだ。イメージがちぐはぐするとでも言うのだろうか。
「人が忙しい時間を裂いて、報告書を持ってきてやったっていうのにアンタいねーんだもん。
ただ待ってるのも暇だし、そしたら机の上にこれがあったから」
そういえば、一昨日にでも使った気がする。
自宅に帰るより、司令部に泊り込むことの多い生活だ。
身の回りの必要な物は、一通り揃えてある。
「それで、爪を切っていたと?」
ブーツを脱いでいたのは、なるほどそう言う事かと得心がいった。
左手も自由に使える彼にとって、足の爪はさほどでもないだろうが、
さすがに機械鎧の右手での爪きりは難しかったと見える。
幾ら高性能とはいえ、細かな動きの難しい機械鎧の手では、
左手の爪を切る事が上手くいかないのだろう。
どうやら、気の短い彼は、その事で先だってから苛ついているらしかった。
もちろん自分が待たせたことも原因になっているのだろうが。
「もう、すんげーイラつく!」
恐らく無意識だろう、右手に集中するために小さい体をますます小さくしてソファにうずくまる姿は、
なんとも子供っぽく可愛らしかった。
もちろん口には出さない。
それを伝えたら最後、容赦なく右の拳が飛んでくるであろう事は目に見えているからだ。
既に意地になっているらしく幾度か挑戦したのだろう、
小さな爪きりを掴んでは、上手く切れないままに取り落とすその仕草に思わず笑いが洩れる。
「どれ、待たせたお詫びに私が切ってあげようか」
貸しなさい、と右手を差し出すロイに、エドワードは大袈裟に顔をしかめた。
「はあ?冗談だろ」
仮にも大佐の地位に立つものが他人の、しかも自分のような子供を相手に
そんな事をするのがなんとも想像し難い。
どうにも器用そうには見えないこの男に迂闊に任せて自分の指先がきちんと残っているかの方が心配だ。
「人の好意は素直に受け取るものだよ鋼の」
「好意、ねえ…」
エドワードは露骨に胡散臭そうな顔を浮かべた。この男の『好意』ほど信用できないものは無い気がする。
しかし、これの元々の持ち主は私だしね、と告げるや否やロイは、エドワードから爪切りを半ば強引にもぎ取った。
そしてさっさとエドワードの左手を取るとそのまま熱心に爪を切り始める。
何やら変な感じだ。
普段はアルフォンスに任せている行為だし、身内以外の人間に爪を切ってもらうこと自体初めてなのだ。
身の置き所がないエドワードは、妙に繊細に自分の左手を扱うロイの姿を眺めた。
意外に器用に切っていく様に安心しつつも、自らを包むその大きな手を意識してしまう。
伝わる体温にどうにも慣れない。
人の手とはこんなに熱いものだっただろうか?
「わ、悪いな」
間が持てずに、エドワードはボソボソと呟いた。
「何、気にすることはない」
ロイはエドワードの爪を切る手を止めることなくにっこりと笑う。
「それにね、私の為でもあるのだよ」
「は?」
エドワードの不思議そうな顔を見つめ、ロイは楽しそうに唇の端をあげた。
「君の爪はわりに鋭くてね、背中に立てられると結構痛い」
「!!」
途端、エドワードの顔が朱に染まる。
もちろんその原因が、怒りだけではないであろうことも見透かしているだろう
ロイは、ますます楽しそうに微笑んだ。
「て、て、てててめ…っ!!!」
エドワードの、いきおい引き抜こうとする左手を、ロイはがっしりと捕えて離さない。
「ほらほら動かないで。大事な左手に傷でもつけたら大変だ」
「ふっざけんな!!誰のせいだと…!」
「ああそうだな、爪を立てさせるほどに君を乱しているのは私だから、そこは謝らなければいけないな」
「んな…!」
あまりの羞恥に、もう声も出せない。
そんなふうに揶揄されると、余計に意識してしまう。
ロイの手の熱さや、やさしい触れ方は否応無しに、まざまざとその行為を思い出させるから。
エドワードは震える手を止められなかった。
「ほら、綺麗になった」
ふっと息を吹きかけるとロイは、エドワードの指先に恭しく口づけた。
そんな仕草が嫌になるほどよく似合う。
ロイが掴んだ左手はそのままに、離されることもない。
繋がったその部分は徐々に熱くなっていくようだった。
「鍵はかかっているよ、エドワード」
全くこの男は本当にろくでもない。
今度は爪だけでなく、力いっぱい噛み付いてやる、
そうエドワードは決心した。
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