時折過ぎる金色の影






                                         残像(7)









目の前に積み上げられた書類の束は、至極常識的な速度で
処理しているにもかかわらず、一向に減る気配を見せない。
動くことの無いそれは、視界に映るだけでロイの気力を削いでいるだろうと思えた。
もちろん、これだけが鬱々とした気分の原因で無い事も彼は承知の上だったが。
ロイは本日、何度目になるだろうかという溜息をついた。
溜息で幸せが逃げるという迷信が事実なら、今日だけで一体いくつの幸せが失われたのだろうか。
「大佐、22回目です」
取り掛かった書類から目を離すこと無く、淡々と答える彼女にロイは絶望的な目を向けた。
上司の機微に聡い彼女は、時にまるで自分の心を読んだような反応を返す事がある。
「数えていたのかね、君は」
「いえ冗談です」
「……」
ロイは、絶対に冗談ではあるまいと思ったが口には出さなかった。
彼の優秀な秘書は、ペンの走る音さえ小気味よく機敏に処理を進めている。
一方ロイは、22個も幸せが逃れてしまったか、と詮無い事を考えながら
呆然と空を見つめた。
思い浮かぶことはたった一つ。




「…大佐、お疲れのようでしたら本日は休まれますか?」
手の止まったロイを、暫し見つめるとリザは静かに言った。
「随分と具合が悪そうです」
職務に忠実な彼女には珍しく、処理が滞る事を咎めるような気配は感じられない。
終ぞ聞いたことの無い寛大な申し出に、ロイはそれほどまでに自分は憔悴して
見えるのだろうかと僅か不安になった。
「そんな風にみえるか?」
「まだ退院して1週間もたっておりませんし…体が本調子では無いのかも知れませんね」
彼女自身、なにか言い訳めいた響きを承知で言っているようだった。
本当に彼女は聡い。
自分の胸に残り続けるわだかまりの正体さえ、もしや彼女なら知っているのではないかと思えた。
「しかし、良いのかね。これらの期限はあまり…」
「本日の処理分は、明日、纏めて処理していただくことに致しますので」
とんでもない事をさらりと伝えつつも
微笑を浮かべた彼女の顔は美しかった。
涼やかな瞳に、きりりと清らかに結い上げられた襟元も。
女性は全て美しい。
彼女らは個々それぞれの美しさを持って、自分を魅了する。


だからそう、
女性以外を美しいと思ったのはあの時が初めてだったのだ。





「…私は少年愛嗜好癖でも持っていたのかな」
「は?」


本日、23個目の幸せを逃しつつ独り言のように呟く上司に
リザは目を丸くした。










*************








失態だった。
人前で涙を流すなんて。
しかもあの野郎の前で。

狭いベッドに仰向けに寝そべっていたエドワードは、
苛々とした気分のままに、宿屋の壁を蹴飛ばした。
滞在を続けるこの安宿は、そう丈夫な作りでも無い。
蹴り飛ばした衝撃で天井から舞った埃が、口に入った途端
エドワードはぺペッとつばを吐き出した。
余計に苛々の指数が上昇するのを感じる。
自分で引き起こした結果とはいえ、
いや自分で引き起こしたからこそ苛々はさらに募るものだ。
全くやりきれない。


「目にゴミが入った」と早々に病室を逃げてきたものの、
あの男が、その場凌ぎの言い訳である事を見破れないはずが無い。
相手は、嫌になる程に隙の無い男なのだから。
そのことはいかに記憶を無くそうとも、変わることが無かった。
いっそ、憎らしいほどに。
こんなにも胸がむかむかするのに
それでも好きだなんて全くどうかしている。
エドワードの事をこれっぽっちも知らない男を
未だ、自分はひたすらに思い続けている。
胸がまた、ちくりと痛んだ。


きっと自分はまだ期待を捨てられないのだ。


事件はロイの負傷を持って、解決した。
既に滞在する理由を失っているというのに
縫いとめられたように、この街から動けないでいる。




エドワードはベッドから降りると窓辺に寄った。
薄くカーテンを開くと、夕陽が美しく差し込んでくる。
燃える様な赤い色は、少し切ない。
夕陽の赤は、全てを燃やす、焔の色を思い出させた。

そしてそれは命の色。
ロイが倒れたあの時、
生命の流れ出したあの時の赤は息が止まるほどに苦しかったけれど
また、別の苦しみがあるなんて思いも寄らなかった。

少しずつ沈んでいく夕陽を見つめていると、
それと同じように、大切なものが奪われていくように思われた。
エドワードは苦々しく笑った。
柄にも無く感傷的になっていると自嘲する。
これが恋情というものなら、自分は一生欲しくなかった。

突然それはふってきた。
求めていたものではなかったのに。



エドワードは耐え切れずに、目を伏せた。
と、眼下に黒いものが過ぎった気がして瞳を凝らす。
それが東方司令部所属
ロイ・マスタング大佐だと認識するまでに数秒かかった。













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05/03/06

ちびちびっと;