それはまるでがらんどう。人の形をした人ではないもの。






                                      残像(9)








「それはどういう意味」
ほんの数秒の沈黙であっても、エドワードにとっては
永遠とも感じられる時間が経過したように思う。
勤めて冷静にエドワードは口を開いた。
模範的な生徒が、難解な数式の答えを教師に問うように。
低く作った少年の声に、ロイが眼差しを眇める。
「わからないのかね?」
冷たいとも例えられそうな声だ。
怒っているのだろうか、呆れているのだろうか、落胆しているのだろうか、
それとも、その何れとも違う感情なのか。
エドワードには読み取れない。
それは、記憶があるない以前に、ロイ=マスタングという男の個性による事だ。
元々がポーカーフェイスの上手い彼のこと、これまでも
エドワードがロイの感情を推し量る事など出来た試しがなかった。
もし解かるとすればそれはきっとロイ自身がエドワードに伝わる事を
望んでいる時だけなのだろう。それ程にこの男はエドワードに本心を見せなかった。
それが自分に対してだけなのか、それとも他の誰に対してもそうなのかエドワードは知らない。
「わからないから、聞いてる」
それエドワードのが正直な気持ちだった。
ロイが自分に逢いに来た、それも個人的な事だと言う。
自分に対する記憶があるならまだ理解できないことも無い。
しかしエドワードの事を、軍の記録文書に書かれたこと以外何一つを知らない男が
何を目的としてここまで訪ねてきたのか、その理由などエドワードにわかる筈が無かった。
自らの心の奥底にくすぶる感情を別にしては。
しかし、それに縋るわけには行かない。

「本当に?」
畳み掛けるロイに、エドワードはわずかに頷いて見せた。
そうする事によって彼の真っ直ぐな視線から逃れる事が出来る。
その漆黒の瞳の中に、自分の甘えを見つけたくは無かった。
「そう…君はわからないのか」
ロイが独り言のように呟いた。
「君にならわかると思ったんだが」
「なにそれ。アンタ自身わからないっていうのか?」
エドワードの言葉を肯定するようにロイが肩をすくめる。
「君の、顔が気になるんだ」
「顔?」
「いや、目かな。」
「どっちでもいいよ。俺が、なんだって言うんだよ」
思いもよらぬ言葉に、エドワードは小さく心臓が跳ねるのを感じた。
期待とも不安ともつかないそれが、意思に反して騒ぎ出し
思わず上擦りそうになる自分の声に舌打ちをしたくなる。
ひたりと自分に当てられた瞳の色は深く、エドワードはそれを逸らせなくなった。
「…入院中の、病室で会った時。
そして今もだが、私を見ると君はいつも泣く。どうしてだ?」
「なっ…!!はぁ?!俺が、いつ泣いたって…!」
エドワードが惑乱し叫ぶ。
(泣いて?俺が?いつ!!)
病院のアレは目にゴミが入っただけだ、とエドワードが叫ぼうとした瞬間、ロイが
右手で制し先んじる。その尊大でいかにも煩そうな仕草にエドワードの血の上った
頭がわずかに冷えた。ロイの声にからかいの色は全くなく、彼が感じた疑問を
真剣に自分にぶつけてきているのが伝わってきたからだ。
「涙がでていないだけだ。君のそんな顔を見ていると、どうしてだか私も落ち着かない。
最初は、子供を虐めているようで気分が悪くなるのかとも思ったのだが…」
ロイは、そこで一旦言葉を区切ると、彼にしては珍しく言いにくそうに声を低め、言葉を続けた。
「…思うにその、君と私の関係は、何か特殊なものでもあったのかね?上司と部下という以外に?」
「……」
エドワードはロイを凝視した。
見るとロイは苦い顔を浮かべている。
恐らく無神経な事を承知で、問い質しているという自覚があるのだろう。
しかし、声には出せないエドワードの答えはノーだった。
上司と部下。それ以外の関係など、自分たちの間には確かに無かったのだから。
引き絞られるような胸の痛みに、半ば喘ぐようにしてエドワードが口を開いた。
「…俺の顔を見て、大佐。何も思い出さない?」
「………すまない」
「アンタ、俺を庇って撃たれたよ。血がいっぱい出てた」
「そうらしいね、…正直言うとそれも疑問で…自分で言うのも何なのだが私は、」
一介の部下の為に自らの命を危険に晒すほど無謀な指揮官ではない、とロイは言いたかったのだろうが
さすがにそれは口には出さなかった。
事件の調書に目を通した限り、あの時の状況で、エドワードが撃たれたとしても、
生命に関わる怪我にはならなかったはずだ。犯人は失神寸前であり、明らかに苦し紛れの発砲だった。
いや、そうとは言い切れないとしても、自らの身を盾にして庇う方法以外にもきっと何らかの方法が
あったはずだ。何故、あの時の自分は、そうしなかったのか―
「私は、もしかして…」
言葉を区切ると、ロイは軽く頭を振った。
「いや、すまない。私はきっとおかしなことを聞いている。君の事は何度も資料で調べた。
最年少の国家錬金術師。そして私の部下。それ以上でも以下でもないという事は解かっているのにね」
ロイが目を細める。それはとてもニュートラルな色をしていた。
何の感情も発していない。
恐らく彼は純粋に疑問を感じているのだろう。
自らの手にも余る、名前の付けられない感情と、
そして手持ちの資料に書かれている事以上に、ロイへの執着を見せているエドワードの事を。


それは、当たり前だ。
あんなうすっぺらな紙切れに、この気持ちが記述されているわけも無いのに。




ふいに黙り込み、思案に暮れているロイの姿を見ていると、
エドワードはさっきとは別の感情が胸を支配しだすのを感じた。
ふつふつと湧き上がってくるそれはきっと、怒りに近かった。

ロイが、気になるという感情は、
エドワードには悲しいかな、同情という言葉しか思い浮かばなかった。
この冷静な男を困惑させるほどの物欲しげな目を自分はしていたのかと思うと、
その瞬間の自分を殺しやりたい程に憎らしい。
そして、今彼が自分に向ける感情が愛情なのではないかとは、間違っても思えなかった。

(だって、この男は思い出しもしない。)

そして、彼は明らかに、エドワードに対する感情を持て余している。
ロイの態度を見ていると丸解かりだ。


でも
だったら、どうして期待をさせるのか。
思わせぶりな言葉で自分を混乱させるのか。
得られないそれだけを求めているのに。
それ以外の答えなんていらない。同情なんて必要ない。
与えられるはずも無い相手から愛情を求める馬鹿な子供だと、憐れまれるなんてまっぴらだ。
癇癪を起こしているようだとエドワードは思った。
望む答えはひとつだけ。

(俺を好きだと言えばいい)


硬く鍵の掛かった宝箱がある。
開けることができないのなら、そして望むものさえ中に入っていないのならば。
そんなものは壊れてしまえばいい。



「教えてやろうか、大佐」


痛むほど熱い胸と裏腹に、頭は急速に冷えていく。


「アンタ、俺を好きだったんだよ、多分」



大きく振り上げて叩きつけたそれは
胸が痛くなるような嘘であり
そしてひとつの賭けでもあった。










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05/04/06